2012年2月29日水曜日

見えなくても

娘たちに英語を教えてくれる女性は
素敵な人。なんでも正直に話せる、
私の友人の一人でもあります。

習い事の時間が終わると、
外に出てきて、いつもニコニコ
笑顔で見送ってくれる。

その日は姿が見えなかったので、
用事があるのかも……と、
娘を車に乗せて、発進させました。

ふとバックミラーを見ると、
真っ暗な中、
こちらに手を振る彼女が。

「行っちゃったから、いいか」
そう思っても不思議はないのに、
こちらが、気がつくかどうかも
わからないのに、
手を振ってくれる彼女。

帰宅して「手を振ってくれて
ありがとね」とメールをすると、
「見てたんだ……、いつも
支えてくれてありがとう」と
返信メールが。

支えてもらってるのは
こちらなのに。

彼女が魅力的に見えるわけを
また一つ知りました。

オオイヌノフグリが咲いているのを
見ると、もうすぐ春だな~と思います。


2012年2月23日木曜日

しなやかに

年を重ねれば重ねるほど思うこと、
「しなやかに生きてみたい」と 。
   
若いころは、女のくせに
強い大木になりたいと思っていた。

何がぶつかっても、倒そうとしても
動じずそこに立っている……、
そんな強い人になりたいと。

でも、今はちょっと違う。

あえて例をあげるとすれば、
ちょっとだけかわいい花を咲かせる
野の花のようでありたい。

雨の日はびっしょりと濡れ、
踏まれたら、いったんは地面に貼りつく、
風に吹かれたら吹かれたまま、
吹かれる方へ姿勢を、顔を向ける。
自分に降りかかってくることを
よけようとせず、ありのままに受け止める。

雨水から力をもらい、
濡れた体はお天道さまに乾かしてもらう。
吹かれて倒れた体は、時間をかけて
ゆっくりと立てなおす。
季節になったら、また花を咲かせる。

自分は強くないとわかったからかな。

これからは……、
周囲に頼りながら、ゆっくりとしなやかに。

 庭の花。
茎が弱ったものは、
水に浮かべて。


2012年2月15日水曜日

相手の思い


「~~したら、あの人は喜ぶんじゃないかしら?」
「~~した方が、相手にとっても良いわよね」
母が言います。
私の母は、長い間美容師をしていましたから、
お客様に喜んでもらいたい、
満足してもらいたいという思いが
体に染みついています。
仕事以外でも、家族に親戚に、友人にも、
「何が相手にとっていいのか」
「どうしたら喜んでもらえるのか」を
いつも考えています。

彼女の気使い、私は嫌いじゃない。
夫も、「お母さんは根っから優しんだよね」と
言ってくれます。
でも、「相手の思いは、相手の思い」
でしかない……とも思う。

どこかで、そういう割り切りも必要だと。
どんなにこちらが、相手にとってよかろうと思っても、
相手が喜ぶだろうと思っても、
受け取る相手によっては迷惑になることもあるし、
嬉しくないことも、一歩間違うと、
悲しい思いをさせてしまうことだってある。
物を、気持ちを、言葉を受け取った相手が
どう思うかまでは、想像することはできても、
私たちには決められない。

「相手の思いは相手の思い」
を、胸のどこかに置いておく。

そうしたら、万が一
反応が自分の期待どおりじゃなくても、
がっかりせずに済むし、
相手を責めずにいられると思うから。
私の思いは私の思い
相手の思いは相手の思い
今、コージーコーナーでは
復刻版のスイーツが販売されています。
私が大好きだった『サバラン』もあって。

夫も、その当時は好きだって言ってたから、
彼の分も買ってきました。

でもね、味覚は変わるもの。
彼がまたおいしいというか、
喜んでくれるかどうかは
私にはわからない。

「ん~」って反応だったら……、
2個目になるけど
私が食べちゃおっと!

2012年2月7日火曜日

できるわけないじゃん!

我が家に、次女のお友だち数人が遊びに来ました。
遊ぶ前に、宿題をするんだと言って
リビングのテーブルに、皆で宿題を広げました。
おしゃべりをしつつ、宿題も一生懸命にやって、
5年生、偉いじゃん!って感じです。

私も、ちょっとだけ輪の中に入れてもらっておしゃべり。
「ねえ、みんな仲良しだけど、ケンカとかする?」
「うん、する時もあるよね~」
「たまにはあるよ」

そうだよね、子ども……だもんね。

「ケンカしたらさ、どうやって仲直りするの?」

「え、普通に」
「うん、何となく」
「遊んでいるうちに、自然と元に戻る時もあるよね」
「次の日学校で『おはよっ』って言ったら
『おはよう』って言ってくれて、
それで、いつも通りになることもある」
「でもさ、そんなに長い間ケンカしないよね~」
皆、色々と話してくれます。

するとある子が、こう言いました。
「私さ、その仲直りですごく嫌なことがあるんだ!」。

「そう?嫌なことがあるの?」と私。

「うん、ケンカした後、誰かがいいつけたり
先生たちが見ていたりすると、『謝りなさい』とか、
『握手して仲直りしなさい』って言うんだよ。
今ケンカしたばっかりなのに、
っていうか、している最中なのに、
すぐにできるわけないじゃん!って感じ」。

的を射ているような気もする。

「そう言われたらどうするの?」
「謝るし、握手もする。
でも仲直りはしてないし、仲直りになってない」

そうか~、でもね、
先生側の都合も、理由もわかる。
知っていて、そばで見ていて
何もしないわけにはいかないんだよ。


同じ物事でも、人によって、立場によって、
見え方が全然違う。理解できないことに見えたり、
「そうだよね」と、すごく共感できたり。

どちらが良いとか悪いとかではなくて、
「あぁ、こういう見方もあるんだな」
と思える自分でいたい。

子どもは、そう思うこともあるんだって
知らなかったから、二女のお友だちに
教えてもらって良かった。
もっのすごく季節外れだけど(^^ゞ

まだ娘たちが小さかった頃。
何てことない砂浜が、彼女たちには、
楽しくてしょうがない場所だった。
二人を見ているのが、楽しかったな。

2012年2月1日水曜日

不安は自分で増やすもの


「ねえ、夏穂(長女)が受験の時に
おばあちゃんに何かあったらどうしよう」。
母が私に言います。
 
認知症で寝たきりの祖母は、
昨年中に危ないのではないかと言われていました。
でも、嬉しいことに、今年に入って
1カ月が経とうとしています。
母が、万が一を考える気持ちはよくわかります。

「うん、ある程度の手順は考えてあるし、
他のことは、そうなった時に考えよう」
母が不安を口にした時の私の答えは、
いつも同じ。

母の、先の先まで考えるところは
いいところでもあります。

東日本大震災の時にも、母は、
「いつか大きな地震が来る。大きな地震には
津波はつきもの」と思っていた人。
“その時には、ああしてこうして……”と
手順を考えていたからこそ、店内にいたお客様をお帰しし、
お店の従業員も帰し、自分たちも洋服を重ね着して
短時間で逃げることができたのだと思います。

反面、考え過ぎは不安を増大させるものでもあります。
子供がいじめられたらどうしよう……など
まだ起きていないことを不安がったり、
現時点では、はっきり決められないことを
考えれば考えるほど、
きちんとした答えを見つけられず、不安になる。

「その時にはこうしたいな」「こうするといいかも」
「こうすれば安心」そうして、自分の不安を
減らすことができるのなら、考えてもいいと思う。

でもみつからない答えを出そうとすることは
不安を増やすだけ。
誰かが増やすのではなく、
自分自身で増やすだけ。
我が家の寝室に入ってくる朝日。
夜に考えると、もんもんとすることも、
朝なら軽く考えられたりして……。
「考え事は朝に」と、自分に言ってみる私。