2012年5月30日水曜日

自分じゃなきゃ 自分じゃなくても

「私がいないと……」
「これは私じゃないとだめね」

そんなことを思っていたころの自分って、
ちょっと可愛いなーと思ったりする。

本当は、どうしてもその人じゃないといけない
なんてことは、実は少なくて……。

その人がいなかったら、
初めは大変でも、別な人が
ちゃんとその力を身につける。

一人でダメでも、みんなで力を合わせれば、
なんとか切りぬけられる。

その人がいなくて、うまくいかないことが
あったとしたら、今度は、
いなくても何とかなる方法を探す。

だからこそ、
私じゃなくてもできるだろうことを
私がさせてもらっていることに感謝する。
仕事も、母であることも、妻であることも、
そのチャンスをもらったってことに感謝する。

お弁当もね、「作ってあげている」
と思えばそうだけれど、
作らせてもらっているとも言える。
食べてくれる人がいるからこそ、
作ることができるのだから。

2012年5月24日木曜日

余計なこと

ある雑誌の記事で、
こんな文章を見つけました。

子どもの習い事について、
「自分ができなかったから、
自分が困ったからと、
子どもに強要するのはやめましょう」。

私はこの言葉を見て、ドキッとしました。
習い事ではなくても、
やってしまうことの一つだなと。

以前はよく、
「ママはこうだったから、こうした方が良い」
と、子どもに話しをしている途中に、
夫に止められ、諭されていました。

「それは君の話でしょう」と。
「この子は君じゃない。
君が子どもの頃にできたことでも、
この子にできないことはあるし、
わからないことだってあるんだよ。
もちろん、その逆もあるんだからね」。

あの頃の私は、子どもと自分が
同化してしまっていました。


じゃあ、自分の経験を子どもに話すのは
いけないこと?

そんなことはありません。
人生の中で、あらゆることを
経験することはできないから、
他の人の、親の経験が
役に立つことは多くあります。
良い経験も反省が必要な経験も
話し、伝えることは必要なこと。

でも「だからあなたも……」は、
余計なんだと知りました。

子どもは、自分に似ている部分もあるし、
親の生活や考えを受け継いでいる部分も
あるけれど、全てが同じ人間ではないのだから。

宿題、勉強のやり方一つとっても、
“その子なりのやり方”が
あるもんね。




2012年5月16日水曜日

言葉を変えずに伝えてみる

東日本大震災の後、家をなくした私の実母と
私たち家族は、同居を始めました。

私が母と暮らしていて、
心地いいと感じること。
それは、自分の気持ちを、
言葉を変えずに、ストレートに
伝えてくれることです。

これが、家族間で大きなトラブルが生まれない
一つの理由でもあるような気がします。

母は、「これをやって欲しいの」
「それは私がするから、しなくていいわ」
「これ欲しいな」「それは私には必要ないわ」と、
かなりハッキリ、私たちに伝えてくれます。
そして、「私の言葉はそのまま受け取って
ちょうだいね。裏はないから」と笑います。

わかりやすいから、
「本当はこう思っているんじゃないか?」
「こうしてあげた方が良いんじゃないか?」
なんて、変に想像したり、気を使う必要がなく、
気持ちが疲れずに済むのです。

ある人がこう言っていました。
「私がね、『お皿は洗わなくていいわよ。
私がするから』と言ったら、
うちの嫁、本当に洗わないのよ。
気が利かないでしょう?ビックリしたわ」

これを聞いた私の方がびっくりです。

人は皆、感じ方も、思いも、考え方も違うのだから、
「口に出さなくても、私の気持ち、
わかるでしょ?」
「想像してよ!」は、難しい。
それは自分の両親でも、娘や息子でも、
夫でも同じこと。ましてや他人ならなおのこと。

言葉を変えずに、今の正直な思いを伝える、
お互いを、誤解を少なく理解するには、
とても大切なことです。

母が近所のお花屋さんで
ガーベラを買って来てくれました。
お花屋さんが、「美穂ちゃん
ガーベラ好きでしょう?」と
言ってくれたのだとか。

好きなお花を
覚えてくれている人がいる、
嬉しいな~。


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2012年5月9日水曜日

ちょうどいいところ

友人が言います。

「うちの子、人とうまくやることは
得意みたいなの。小学校でも、
ありがたいくらいにトラブルはないのよ。
でももう少し、積極的になって欲しいのよね」。

親のない物ねだりは私にもあるから、
彼女の気持ちはわかります。

「そっか、でも、積極的じゃないからこそ、
優しいとか、人当たりが良いって
言われるんじゃないの?」と私が言うと、

「まっ、そうなんだよね。
どっちもちょうどいいくらい……なんて子
なかなかいないか」と友人。

二人で「ね~」と笑いました。

積極的であれば、発言量も多い分、
人と、意見の違いが生まれます。
意思や思いが強ければ、
人を自分の思い通りに動かそうとして
ぶつかることだってある。

消極的な子は、我慢することや
人のいいなりになることはあっても、
上手に人に合わせることができるから、
その分、思いやりがある、
人とうまくやれると評価されることもあります。

我が家の娘は前者が次女で、後者が長女。

長女は先生に、「授業中の反応や
授業中の発言が少ない」
「もう少し積極的に、リーダーシップを
とって欲しい」などと
言われることが多くありました。
(小・中学校時代)

次女は「ああしたいこうしたいが多い」とか、
「態度にハッキリ出過ぎる」と
言われることがあります。

もちろん、指摘していただいたところは、
彼女たちに伝えますし、
直せたらいいね……と助言はします。

でもね、そこは、マイナスのようで、
その子のいいところでもある。

「どっちもちょうどいいくらい」は
理想ではあるけれど、偏りがあるのは
仕方がないことのような気もします。

成長するにつれ、“ちょうどいいところ”を
自分で見つけてくれることを期待しよう。

空や雲のように
色んな表情を見せてくれる子どもたち。
それが悩みの種になることもあるし、
親の楽しみになることもあるんだよね。

2012年5月2日水曜日

方法はある

新聞に英語のことわざ問題が載っていました。

Where there is a will, there is a____ .

答えは way (方法) 
「意思があるところに方法はある」

日本語の、『為せば成る』に近い言葉のようですが、
いきなり「成る」よるも、
「成らなくても、それに近づく方法を見つける」方が、
身近な一歩を踏み出せる気がする。

どちらにしても、まずは自分の意思。
「こうしたい」「こうしよう」が大事なんだな。

小さいころから、よく言われていただけではなく、
実体験から「そうだな」と感じることも多くある。

だから、娘たちにも伝えます。
「まず、思おうよ。願おうよ!
すべて、そこから始まるんだから」と。

それを聞いた次女。
「そうか!よ~し、私、嵐のニノ(二宮和也君)と
結婚する。うん、できるような気がしてきた!
その為には……」。

思わず笑っちゃうけど、それも良いと思う。
したいことを考えるだけでも
楽しくない?ワクワクしない?


夢って、そこから始まるんだと思うよ。